フィリピンの人たちの変化(日下渉)

フィリピンが『頑張っても報われないので、日々を生き抜くために人々と支え合う社会』から、『頑張れば報われるかもしれないので、努力している自分の足をひっぱる余計な人間は切り捨ててもかまわない社会』に転換したことが背景にあるだろう。人との『つながり』がすべてだった社会から、自分の成功や生存のためには人との関係を『切断』してもかまわない社会への転換はかなり短期間に、劇的な速さで進んだように思う。とはいえ、自分の手で『余計な他者』をコミュニティーや家族から排除することはできないので、それを代行してくれる警察はありがたいということなのだろう。 成功を目指して頑張っているフィリピン人は、グローバルなサービス産業の構造のもとで自由や自律性を失い、強いストレスのもとにさらされている。たとえば、米国の顧客に対応するコールセンターでは、アメリカ時間に合わせた夜勤、分刻みの顧客対応、上司による徹底的な監視、非人間的で機械的な作業の繰り返しなどに耐え続ける必要がある。出稼ぎの船乗りや家政婦もそうだ。そうした人たちからすれば、働かず、他人の金に頼って自由気ままに暮らしている人々が憎くなるのは当然だろう。グローバルなサービス産業の底辺に組み込まれ、フィリピン社会が急速にストレス社会になったことの反映でもある、